校章について
校章の制定時期については、大正6年・および大正8年の2度にわたる米沢市の大火により、本校の資料も焼失しているため未詳。
制定の由来については「報告団誌」(創立40周年記念特集号)によると、校旗(大正10年1月8日樹立)の紋章は「米沢の城は、舞鶴城と称したことから、この舞鶴を本校の紋章とした」と記されている。
校訓について
本校創立時の校訓は「士魂・商才」でしたが、創立20周年に「至誠」と「進取」に定めた。
一つは精神のよりどころ、一つは行動の規範である。
そして、「至誠」には菅原道眞の、「進取」には上杉鷹山の歌が添歌として付された。
至誠は真心である。
自分の心が正しくなければ、
鏡にうつる姿も正しくうつらない。
進取は勇気である。
正しき道はどこまでも自ら進んでやり通すという
勇気ある行動が必要である。
と解説されています。
校訓の扁額は、「至誠」は西涯(平田東助)「進取」は青淵(澁澤榮一)によるもので、 原本は校長室に所蔵されている。
西涯 平田東助
米沢市出身。法学博士、貴族院議員、農商省、内相、内大臣等を歴任。産業組合創設者。
青淵 澁澤榮一
埼玉県出身。維新時大蔵省、第一国立銀行、王子製紙、日本郵船等を設立。
校歌について
大正11年、創立20周年記念事業の一つとして、校訓とともに制定されました。
作詞者の須藤栄吉(米沢市出身)は当時本校の英語の教師でした。
ふるさと米沢と市立商業と、此所に学ぶ若人のため、全情熱と湧然とわく詩興に打たれ、天来の霊感を以て「校歌雲に横たふ」は茲に誕生した。彼の詩心は天の嘉みしたもう所となった。古里の山河に至誠・進取の二大校訓を託し、四季のうつろいを叙し、謙信、鷹山二公の遺風を顕彰し、人間性の深奥に呼び掛けて、商業教育に志向する若人よ、世界に向かい高い目標を望んで、胸を開けと、未来への無限の可能性を、全たき信頼を持って強調している。
作曲者の大沼哲(米沢市出身)は陸軍軍楽少佐でした。
陸軍戸山学校を首席で卒業、直ちに同校軍楽隊に勤務。傍ら、アテネフランセ夜間部に通いフランス語を学んだ。天与の楽才に恵まれしかも努力の人でもあった。本校教師の田村久内が大沼と知り合い、これがきっかけで作曲を依頼した。大沼は至誠・進取を説いてやまない須藤の人間味あふれる詩の心に打たれ、作曲を約した。